同居を始めたばかりの頃は、「両親が今日も元気でいてくれて、ありがとうございます」と仏壇に手を合わせていました。
本当にそう思っていたし、心から感謝の気持ちを込めて南無南無(なむなむ)していました。
でも最近は、少し様子が変わってきました。
「なんで自分だけ、こんなに人のために生きなきゃいけないんですかね」
「どうして私はこんなにも心が狭いんでしょうねぇ」
そんなことを考えながら、手を合わせている自分がいます。
感謝の気持ちを持続するのは簡単ではないんです。
変わってしまった理由は、ひとつはっきりとあります。これはまた別の記事で書こうと思っています。タイトルはもう決まっていて、「絶対に言ってはいけないこと」。
日々の生活の中で、じわじわと小さな不満が積もっていくのは仕方のないこと。
それは、きっとお互い様。
でも、その小さな不満って、実は「ありがとう」のひと言で、だいぶ軽くなると思うんです。感謝の気持ちをちょっと伝えてくれるだけで、気持ちが全然違う。
だからこそ、「ありがとう」は忘れちゃいけない。
他人の気持ちや行動は変えられないけど、自分の行動は選べる。
自分だけは、感謝を伝えられる人でいようと思うのに⋯これがなかなか難しい。
父は毎日、愚痴ばかり言っています。
二言目には「あんただって歳をとればわかる(年寄りになってみないとわからない)」と言って、イライラをぶつけてきます。
まるで、「若者には何を言ってもいいんだ!」というように。
愚痴を侮るなかれ。
愚痴って、聞かされる側の元気を確実に奪っていきます。
それに、言っている側もその時は少しスッキリするかもしれないけれど、度を過ぎれば間違いなく嫌われます。誰だって愚痴を言う人の側には居たくないですもんね。
……と、こうして私も愚痴ってるわけですが(笑)
じゃあ、どうしたら愚痴らずに済むのか。
私なりの結論はこうです。
「期待しないこと」
相手に「感謝してほしい」とか「もっと理解してほしい」と期待してしまうから、がっかりする。イライラする。
だったら、最初から期待しない。
相手に変化を求めない。
自分以外の人をコントロールするなんて、無理なんだから。
それよりも、自分が「自分を好きでいられる行動」を選ぼうよ。
それだけに集中する。
今の自分はこんな風に思ってるよ。
歳をとったら、「子どもが親の面倒をみるのは当たり前」なんて絶対に思っちゃダメだぞ!感謝を忘れるな!
体が思うように動かないのは辛いだろうけど、そうなってない人にはわからないからね。そこは仕方ないんだよ。歳とってからも自分には期待するんじゃないよ〜。若い頃のように動きたいなんて無理なんだから。
自分でできることを一生懸命やってたら、きっと助けてもらえるから。
そしたらちゃんと感謝するんだよ!