はじめに
親と同居することを決めたとき、
正直、大変なのは「家事」や「介護」だと思っていました。
体力的にしんどいとか、
生活リズムが合わないとか、
そういうことは、ある程度覚悟していたつもりです。
でも、実際に一番きつかったのは、
お金の話でした。
それも、誰かに責められたわけでも、
請求されたわけでもありません。
ただ、
毎日のように聞こえてくる「お金がない」という言葉。
それが、思っていた以上に心を削ってくるんです。
親が繰り返す「お金がない」という言葉
「お金がない」
「これからどうなるんだろう」
「年金だけじゃ足りない」
私に向かって言われているわけではありません。
でも、同じ家に住んでいると、どうしても聞こえます。
聞こえなければいいけれど、
生活の音と一緒に、どうしても耳に入ってくる。
最初は、
「不安なんだろうな」
「年齢を考えたら仕方ないよね」
そう思っていました。
でも、それが毎日続くと、
だんだん “私が同居し始めたからなの?” というモヤモヤが
心の奥に溜まってきました。
私は本当に“負担をかけている側”なのか?
同居してから、
私は自分なりに「できること」をやってきたつもりです。
- 毎月決まった額の食費を出している
- ウォーターサーバー代を負担している
- ときどき食料品を買ってきて、そのままにしている
- 夕食の後片付け
- 洗濯物を干す
- お風呂掃除
- 病院や買い物の送迎
- 重いものの買い出し
特別なことをしているつもりはありません。
「同居しているなら、これくらい普通かな」と思ってやってきました。
それでも、
「家計が苦しい」
「お金がない」
という言葉を聞き続けると、
私、そんなに負担になってるのかな?
という疑問が、どうしても消えなくなりました。
年金生活で「家計をプラスにしようとする」不思議
少し冷静に考えてみると、
年金生活って、本来は 貯金を取り崩しながら暮らす時期では?
現役時代のように、
「収入を増やして貯める」フェーズではない。
でも、親の中には
「お金が減ること」そのものへの強い恐怖があるみたい?
年齢はかなり高齢。
これから 急に 大きな出費が増えるとは考えにくい。
それでも、
「減るのが怖い」
「足りなくなるのが怖い」
たぶんこれ、
現実の家計というより、不安の問題なんだと思います。
頭では分かっていても、
一緒に暮らしていると、その不安を間近で浴びることになります。
なぜこんなにモヤモヤするのか考えてみた
しばらくして気づきました。
このモヤモヤは、
「大変だから」ではありません。
- 頑張っているのに、評価されない
- ちゃんと出しているのに、足りない空気になる
- 役割が固定されて、抜け道がない
こうした 理不尽さ が、
少しずつ心を疲れさせていたんだと思います。
我慢すればするほど、
「私が耐えれば回る」構造が出来上がってしまう。
それが、いちばん苦しいんだ。
「もう十分やっている」と言ってくれ
今振り返ると、
私が本当に欲しかったのは、お金の話の解決ではなくて、
「もう十分だよ」
「これ以上、出さなくていいんだよ」
という言葉だった気がします。
許可、みたいなもの。
でも、その言葉は出てきません。
だから、最終的には
自分で自分に許可を出すしかなかった。
「私はもう、やっている側だ」
「これ以上、無理をしなくていい」
そう思うようにする。
「お金がない」を止めることはできない
正論を説明しても、
数字を整理しても、
分かってもらおうとしても、
「お金がない」という言葉は、止まりません。
途中で気づきました。
これは 会話ではなく、不安の吐き出しなんだと。
相手を変えることはできません。
だから私は、
自分を守る方を選ぶことに。
聞かない。
反応しない。
距離を取る。
それだけでも、心の消耗はずいぶん減ります。
同居は、やさしさだけでは続かない
親と同居するのは、
やさしさや善意だけでは続きません。
誰か一人が我慢し続ける形は、
いつか必ず詰みます。
助け合いと、自己犠牲は違う。
線を引くことは、
冷たさではなく、関係を壊さないための工夫ですよね。
答えは出ないけれど
正直、今も毎日模索中です(笑)
完璧な正解は分かりません。
でもひとつ、
はっきりしたことがあります。
私がおかしかったわけじゃなかった。
親と同居して、
お金の話がしんどくなる人は、きっと少なくない。
そう思えただけで、
少し呼吸がしやすくなりました。
同じ立場の人へ
もし今、
親と同居して、お金の話で心が削られてモヤモヤしている人がいたら。
それは、
親不孝でも、冷たさでもありません。
思っていたより、きつかった。
ただ、それだけの話なのかも。
と思っていいんだと思います。
